Soros

わかっており、わかっているとわかっている人は賢明である。ついていこう。
わかっており、わかっているとわかっていない人は眠っている。起こしてあげよう。
わかっておらず、わかっていないとわかっている人は学生である。教えてあげよう。
わかっておらず、わかっていないとわかっていない人は愚者である。かかわりあいになるのをやめよう。
Jan 29
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コミュケーション能力が低い人のほうが新しいコミュニケーションのほうに行く。たとえば、コミュニケーション能力が高いと、女子大生とも共通の興味がなくても話せるわけ。それは楽しいことです。でも、コミュニケーション能力が低い人は、女子大生と話すことができないから、自分のすごく詳しい分野をブログなんかに書く。そうすると、自分が本当に詳しい分野に対して本当に理解してくれる人が集まってくる。いい人材もいいユーザーも集まる。進化論と一緒で、”前のコミュ二ケーション能力”が高い人は進化できない。(前時代的な)コミュニケーション能力の低い人のほうが有利になってくる。コミュニケーション能力の低い人が勝つんですよ。
Jan 26
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Jan 25
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──長年、MITの学生たちを見ていてよくある「過ち」があれば、教えてもらえますか?


最も陥りがちな過ちは、あまりにも多くのことに興味を持ち過ぎてしまうことです。いろんなものに興味を持つこと自体は悪くないですが、ある段階できちんと何がいちばん大事かを考えて、それをやり遂げなければならない。

たとえ他に面白そうなものがあっても、成功する可能性があっても、いちばん大事なもの以外は捨てなければならない。なぜなら、一日は24時間しかないし、人生は100年もないわけです。時間は限られている。

でも、若い人にとってそれを認識するのは難しいんでしょうね。残り時間を無限だと考えているし、エネルギーも無限にあると思うから、いろんなことに手をつけてしまう。優先順位をつけるための価値体系が固まっているかどうかが大事なポイントでしょうね。

──いろんなことに興味を抱いてしまう学生に、どういったアドバイスをされるのですか?

何を選ぶのかを考えさせますね。そして、なぜそれを選び取ったのかをきちんと説明できるように考えさせます。最終的には君は何のために生きているんだ、という話に行き着くことも多いです。「人生が残り1日しかなかったら、どれを選ぶんだ?」「残り10年だったら何を選ぶんだ?」と問いかけるわけです。

「社会にどういうインパクトを与えれば君は満足するのか?」という話をして、優先順位を決めさせる。これができない人は、自分が見えていない人、つまり哲学のない人が多いですね。

Jan 22
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(Source: afterthoughtswithhieu, via qjn)

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mini-mal-me:

Eric Hu

mini-mal-me:

Eric Hu

(via deli-hell-me)

Jan 20
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小学校で働いてるんだけど、給食中の会話が面白すぎて仕方がない
特に男の子は何の脈絡もなく、唐突に話が始まる

A「なあB、お前親戚何人おる?」
B「犬も入れて?」
A「入れて。」

この時点で自分はソフト麺が二本ほど鼻から出そうになる

B「16人かな」
A「俺と一緒や!」
B「隣の家の人も入れると24人かな」
A「俺と一緒や!」

こんな会話が日々交わされています.
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Jan 18
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全13曲の「chronicle.」の12曲目で、小沢健二の94年のアルバム「LIFE」に収録されていた「ぼくらが旅に出る理由」がカバーされているのだが、そこに東京スカパラダイスオーケストラの茂木欣一が参加している。しかも本来のパートのドラムだけでなく、デュエットのシンガーとして。


安藤裕子の「そして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いた こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」というパートに続き、茂木はこう歌う。


 「それで僕は腕をふるって 君にあて返事を書いた
  とても素敵な長い手紙さ 何を書いたかはナイショなのさ」


94年のオザケン版オリジナルでドラムを叩いていたのは、スカパラの“初代”ドラマーだった青木達之。
だった、というのは、青木は99年5月、不慮の死を遂げたからだ。そして、茂木がもともと参加していたフィッシュマンズのボーカル佐藤伸治も、そのわずか2ヶ月前に急死している。


そんな2つの死という経緯があって、2001年11月、茂木はスカパラに正式加入。“2代目”としてドラマーの座を継いだ。


つまり、冒頭で紹介した「ウィークエンドシャッフル」内の言葉をそのまま借りれば、「ぼくらが旅に出る理由」のカバーは、


 「これは茂木さんから青木氏へ送る鎮魂歌、
  『長い手紙』(歌詞参照)でもあったのです。」


確かに、ここまで「生と死」を意識させるキャスティングは、そうそうない。
オザケン版オリジナルは、離れた恋人についての歌だが、このカバーでは同じ歌詞が、


 「ぼくらの住むこの世界では 太陽がいつものぼり
  喜びと悲しみが時に訪ねる」

 「そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く」

 「ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり
  誰もみな手をふってはしばし別れる」


…と、「失われた人」を思う言葉として響くような広がりが生まれている。生と死。曲に新しい意味を吹き込む、こういうものをすばらしいカバーというのだろう。


いっぽう、青木達之が1990年に当時のスカパラメンバー林昌幸と2人で作曲した、小泉今日子のヒット曲「丘を越えて」(作詞:小泉今日子)には、こんな歌詞がある。


 「今でも愛してるよって 手紙をくれた
  ずいぶん遠回りしたけど 勇気をだして」


実は、青木氏の葬儀で流されたのが、この曲だった。
もちろん、“長い手紙”がようやく届いた――と思うのはリスナー側の勝手な思い込みでしかない。
が、ここでもまた、歌詞に新たな意味が与えられたような気がしてしまう。

Jan 17
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Jan 16
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Jan 15
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経験を共有していないとコミュニケーションは困難だ。
Jan 02
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人生は本質的にデメリットを楽しむものだ
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